
十字名号(帰命尽十方無碍光如来)
光明本尊は名号(仏の名前)から放たれる光明のなかに、釈迦・弥陀二尊や天竺(インド)・震旦(中国)の高僧、聖徳太子とその一族・日本の高僧(和朝先徳像)などが一幅で描かれた絵画である。
願楽寺の光明本尊は三幅からなり、中央にこの光明のない金泥でない十字名号「帰命尽十方無碍光如来」、左側にインド・中国の高僧、右側に聖徳太子とその一族・日本の高僧が描かれている。
十字名号は、南無阿弥陀仏と同じ意味である。名号は籠文字で書かれている。蓮台には截金が用いられ蓮弁でかたちづくられている.この十字名号は、絹布がかなり粗く、南北朝時代か室町時代初期に制作され、もとは、天地に賛銘が書かれていたとも考えられる。
(引用:黒部市ホームページ)

山門
正面の山門は一間一戸、入母屋、桟瓦葺きの楼門建築で上層部には高欄を回し、吹き放ちの鐘楼堂になっています。

阿弥陀如来
阿弥陀如来とは、無量寿あるいは無量光という言葉のサンスクリット語を訳したもの。この仏の寿命は限りなく、この仏の光はあらゆる国々、人々を照らす、という意味である。その阿弥陀如来の役割とは、その阿弥陀如来がたてた四八の誓願のうちのひとつ阿弥陀如来を信ずる者はみな極楽浄土に往生させるというものである。
この阿弥陀仏絵像は、真向きの立像で、本願寺教団で使用する方便法身尊形の典型的な容姿を具備している。上品下生印をむすび両足をそろえて直立する。光明が直線四八条で、それは身光のように尊像全体から発している。
阿弥陀如来は画幅に対してやや大きく描かれており、肩幅は広くゆったりとした丸みをおび、本願寺第九世門主・実如上人(一四八七~一五二四)の時代の本尊の特色を示している。どの方向から見ても、仏の目が私の方を見つめているように見えるので、真向きの御影と呼んでいる。
(引用:黒部市ホームページ)

天竺・震旦高僧連坐像
下段に天竺(インド)の三菩薩、大勢至菩薩を中央に向かって左が龍樹、右が世親の二菩薩、震旦(中国)の七高僧は慈愍三蔵・曇鸞和尚・道緯禅師・善導和尚・懐感禅師・少康法師さらに上段に法照禅師となる。札銘に慈愍三蔵とあるものが菩提流支三蔵とあるものより古い形態をとどめている。
震旦高僧の椅子に見える黄金色は、金泥の補彩である。願楽寺蔵の和朝太子先徳連坐像の座具に、当初からの細やかな截金があり、それと同一の形態にするために施されたものではなかろうか。
絵絹の天地には切断の痕跡があり、元来賛銘があったようである。この連坐像の制作や伝来について、詳らかにする文献はない。
(引用:黒部市ホームページ)

和朝太子先徳連坐像
垂れ髪の聖徳太子は截金で縁どられた華麗な礼盤の上に立ち、侍臣も、聖俗ごとに描き分けられた座具に坐する。先徳は八人であるが、上段の絵には切断の跡があり、あるいは、まだ数人の先徳がかつて描かれていたのかもしれない。
源信和尚・聖覚・信空・源空(法然)・親鸞以下の先徳には札銘が付され、善性・明性の順で坐している。善性・明性の順序であるので、下総国磯部(現・茨城県)の善性系門流伝持連坐像と推定される。室町時代一五世紀中頃までの典型的で華麗な作品の一つである。
(引用:黒部市ホームページ)

十字名号(帰命尽十方無碍光如来)
光明本尊は名号(仏の名前)から放たれる光明のなかに、釈迦・弥陀二尊や天竺(インド)・震旦(中国)の高僧、聖徳太子とその一族・日本の高僧(和朝先徳像)などが一幅で描かれた絵画である。
願楽寺の光明本尊は三幅からなり、中央にこの光明のない金泥でない十字名号「帰命尽十方無碍光如来」、左側にインド・中国の高僧、右側に聖徳太子とその一族・日本の高僧が描かれている。
十字名号は、南無阿弥陀仏と同じ意味である。名号は籠文字で書かれている。蓮台には截金が用いられ蓮弁でかたちづくられている.この十字名号は、絹布がかなり粗く、南北朝時代か室町時代初期に制作され、もとは、天地に賛銘が書かれていたとも考えられる。
(引用:黒部市ホームページ)

山門
正面の山門は一間一戸、入母屋、桟瓦葺きの楼門建築で上層部には高欄を回し、吹き放ちの鐘楼堂になっています。